世界の終わりとなんとやら

  セカイが終わるところに立ち会いたい、と思う。それはもちろん僕らが生きるような広い「世界」の話であり、当然それよりもむしろ、誰かの恋心で終わる小さな「セカイ」の話だ。

 

 90年代から2000年ごろまでかけてサブカルチャー作品群を席巻した、「君と僕」の関係性が直接世界の終わりや世界の危機に直結する、いわゆるセカイ系と呼ばれる物語が僕は好きだ。

おそらく誰にも1度くらい経験はあると思うけれど、例えば中学生の頃、とびきりキュートな女の子と手を繋ぐことができたらそれだけで世界は特別な新しい色を手に入れたように見えたし、もしその子と喧嘩をすれば世界はどこか彩度の低い色褪せたものに見えた。

 これは僕が気分屋で単純な人間であることにも原因があるのかもしれないけれど、そんなキュートな女の子という小さなセカイの登場人物によって色を変える世界を見ていると、セカイ系の物語はある種の真実をフィクションの舞台に上手く誘い出しているように思えた。だから僕は一つのセカイの終わりと新しい世界の始まりはニアリーイコールで構わないんじゃないかと、そう考えている。

 

  人が生きてるうちに出会えるセカイの終わりは星の数ほどは多くない、と思う。それはたぶん恋の始まりであり、恋の終わりであり、素敵な本との出会いであり、正しい形での誰かとの別れだ。

 人に物語る力がなかったらきっと僕らはもっと浅い場所でしか息ができない。

誰かが語ってくれる、見せてくれるセカイの終わりとそれによって新しく生まれた世界の話を聞くことによって、僕らは那由多の人生を体験できると僕は信じている。

それにこれは僕の個人的な祈りだけれど、正しくセカイが終わった後で人は少しだけ優しくなれる。

 

 だから僕は、何度でも誰かのセカイの終わりに立ち会いたいのだ。