僕が眼鏡を嫌いな理由
僕は眼鏡が嫌いだ。
眼鏡っ娘についてはまた別種の(宗教論争的意味を持った)議論が必要とされるけれど、少なくとも僕は、大変お世話になっているにも関わらず、自分でかけている眼鏡が嫌いだ。
僕の心には一つの言葉が楔のように呪いのように突き刺さっている。
僕が眼鏡をかけ始めた小学生の頃に、当時好きだった女の子に穿たれた呪いだ。
「君って、眼鏡をかけてると性格悪そうだよね」
繊細で感じやすい僕の柔らかな心はその心無い言葉に大変傷つけられた。それは幼かった僕に、「人前ではなるべく眼鏡をかけないようにしよう」そう決意させるには十分すぎる呪いの言葉だった。
僕はあれから随分経ったいまでも、なるべく人前では眼鏡をかけたくないなぁ、とそう思う。
それがもう顔も忘れてしまったような女の子からかけられたものでも、僕の心は未だにその呪いに縛られている。
このことから、僕らは一つの教訓を得ることができる。
幼い純白の心に傷をつけるのに、ナイフは要らない。無邪気の棘を孕んだ言葉一つでそれは簡単に傷ついて、消えない跡を残すのだ。
せめて、その傷の深さを知っている僕は、これからどこかで出会う幼い心に醜い跡を残さぬように生きていきたいと思う。
それが眼鏡を嫌う僕の、願いだ。