スノウ・ホワイト

 

僕は彼女のことを「白雪」と呼んだ。

 

それは本当の名前ではなかったけれど、彼女はその名前で呼ばれることを好んだ。

 

本当の名前はわからない。

 

                                    ◇

彼女は精神科の待合室で出会った。

 

僕は少し前に巻き込まれたある事故のカウンセリングを受けに精神科に通っていた。

 

彼女がなぜ、通院していたのか、後になって何度か聞いたけれど、結局教えては貰えなかった。ただ、毎週水曜日、僕が通院するたびに彼女はいつも待合室にいた。

 

最初は会釈をする程度の関係だったけれど、白い雪のちらつくある日に「よくお会いしますね」と彼女に声をかけられた。

彼女は12月の深夜に降る雪のように白い肌をしている綺麗な女の子だったし、それにカウンセリングを待つ間、暇を持て余していたからそのまま彼女と話をした。

彼女に名前を尋ねると「わけがあって名前は教えられないの。あなたが好きなように呼んでくれていいわ。あんまり酷いのは困るけれど」と言われた。

「なら、白雪っていうのはどうかな、ちょうど雪も降っているし」12月の深夜の雪のような白い肌に目を引かれたからだ、とは言えず、そういった。

「白雪、ね。気に入ったわ、そう呼んで。これからは林檎を食べるときは、毒が入っていないか確かめなきゃ。」

「魔法の鏡と女王にも気をつけたほうがいい。」

それから毎週水曜日は少し早めに病院に出かけて、白雪と待合室で話をするようになった。

 

聞いてみると、白雪は僕の通う大学のすぐ近くにある絵の専門学校に通っているということだった。白雪の書いた絵を幾つか見せてもらったけれど、何か不安と不穏を孕んだ、そんな印象を受ける絵だった。「ある種の絵っていうのはね」白雪は言った「作者じゃなく、鑑賞者の心の中を映し出すものなのよ」

 

         ◇

ある雪の降る夜に、白雪を夕食に誘った。

「林檎が出ないなら行く」と言って、彼女はにやりと笑った。

背伸びをして予約した高級なレストランに、白雪は自然に溶け込んだ。もともと白い肌に深夜二時のように黒い髪をしている美人だっだけれど、フォーマルな黒のドレスを着た白雪は料理の味がわからなくなるくらい綺麗だった。

「すごく素敵なレストランね、初めて来たわ。こんなお店。」と白ワインのグラスを傾けながら白雪が言う。

「それは良かった。背伸びをした甲斐があったよ」

「それで、このあとはどうするのかしら」

「あ…この後のことは全然考えてなかったな」

「ふぅん…じゃあこうしましょう。外に出て、まだ雪が降っていたらあなたの家に行く。雪が止んでいたら、そのまま帰る」

僕は窓の外を見る。雪は夕方から勢いを増すばかりで止みそうにはない。

「それは、つまり、そういうことなのかな」

と尋ねる。

「さぁ、どうかしら。さぁそろそろ行きましょ、雪が止む前に。」

 

          ◇

ベッドの中で、つるりとした裸足で太ももを撫でられたので、冷たいと文句を言うと私冷え性なのよ。と返された。

白雪の躰は細く、冷たかった。触ったら僕の熱で溶けてしまいそうだ、と伝える。早くあなたの熱で溶かして。と耳元で甘い声が囁く。そっと触れると12月の雪が僕の指を少し湿らせた。

 

          ◇

そういえば、と事を終えたあとで思い出したように白雪が言う。どうしてあなたは毎週水曜日に陰気な精神科なんかに通っていたの?

僕は僕の巻き込まれた事故と、目の前で仲のいい女友達が死んだことを話す。

「それでね、」白雪の深みのある黒い髪を指で梳かす。

「僕が一番ショックだったのは、冷たくなっていく彼女を見て、可哀想でも、悲しいでもなく、『綺麗だ』と感じたことだったんだ。だって彼女は、本当に僕の友達だったんだよ。」カウセリングでも話さなかったことを口にする。

 

「ねぇ、私の躰と彼女の躰とどっちが冷たかった」

 

そう白雪が聞く。

何も答えずにいると、白雪の細く冷たい指が彼女の裸の喉に僕の暖かな両手を導く。

あの時と同じだ。

白雪はきっといつか毒林檎を食べて死んでしまうだろう。もしかするとその前に、僕がさっき与えた熱で溶けてしまうかもしれない。

どうせいつか壊れるなら、僕が。

 

「絞めて」

 

と言う誰かの声が遠くで響く。

窓の外ではまだ雪が降り続いている。おそらく、明け方まで止まないだろう。