バレンタインデー

「ねぇ、チョコレート欲しい?」そう声をかけられて顔を上げると、想像していたよりもずっと近くに千鶴の顔があって、改めて近くで見るとこいつホントに鼻筋が通ってて肌白いしまつげも長いなーとかなんとか考えて、小っ恥ずかしくなって、気がつけば「いらないよ、腐れ縁からのチョコレートなんか」と笑い飛ばしていた。

 

これは男子高校生にしかわからない話だけれど、バレンタインチョコは母親からしか貰えなきゃそれはそれで切ないし、女の子から貰ったら嬉しいけどなんか気恥ずかしくて少しぶっきらぼうな対応になる。それが昔はなんとも思ってなかったのに、高校に入ってからやたらと女の子らしくなった隣に住んでる幼馴染からの義理チョコだったら尚更だ。

 

「……ふーん、そういうこと言うんだ……せっかく作ったのに。じゃあ、本当にあげないから。」そう言うと千鶴は不機嫌そうに踵を返して女子の輪の中に戻っていってしまった。鼻で笑われると思っていたのに、それが予想ずっと冷たい対応で少し、悪いことをした気もしたけれど、気になる女の子から義理チョコを貰うのは何も貰わないよりむしろ惨めかもしれない。そんなふうに自分を納得させた。それにどうせ手作りと言っても、去年のように部活の友人に配るついでに作ったものだろう。

 

アイツはいつもそうだ。僕の気持ちも知らないで昔のままの距離感で近づいてきて、その度に僕は「男として見られていない自分」と向き合うハメになる。かといって、今の無条件に側にいられる関係を自分から変えられるほど、僕は勇敢じゃなくて、そのことも苛立たしい。

だから、義理チョコなんて、受け取らなくて正解だと思った。

 

          ◇

結局、高校二年生のバレンタインに貰えたのは所属している陸上部のマネージャーからと男子全員に10円チョコをくれたクラスメートからの支給品だけだった。放課後体育館の横を通ると呼び出された男子と呼び出した女子がいい雰囲気になっていたりして、石の一つでも投げてやろうかと思った。

 

「おぅ今終わり?一緒帰ろうぜ」

ちょうど体育館から出てきたバレー部の悪友が言う。

「バレンタイン、何個もらえた?」

そう尋ねると「8個かな…半分は義理だけど」等とのたまうのでコイツとは縁を切ろうかなと半ば本気でそんなことを考える。

「そうそう義理チョコと言えばさ」

「ん?」

「千鶴ちゃん、今年部員にくれたチョコ買いチョコだったんだよな…去年までは手作りだったのに」

 

僕はその話に小さな疑問を覚える。確かに朝、千鶴は義理チョコを"作った"と言っていた。

 

「でさ、今年は手作りじゃないのか〜って言ったらさ『今年は手作りは本命だけなの、ゴメンね』って。しかも渡しに行くからって部活が終わったらすぐ帰っちゃってさ。お前仲いいだろ?千鶴ちゃんの好きな人、誰だか知らない?」

 

モテる悪友に適当に別れを告げて走り出す。

 

追いついた時にはちょうど千鶴は家の鍵を開けたところで、その背中になんて声をかければいいかわからなくなって、一瞬躊躇って大きな声で名前を呼んだ。

「何だ、君かい。チョコなら無いよ。結局誰にももらえなくて、私みたいな腐れ縁に縋りに来たんだろうけど、そんな奴にあげる義理チョコなんて、ほんとに一つも…!」

 

今にも泣きそうになっている瞳を見て、僕は自分の独りよがりを知る。よく見れば目元を拭う人差し指には絆創膏が巻いてある。

 

「……僕は、好きな女の子から義理チョコ貰うなんて惨めになるだけだから、千鶴からの義理チョコは受け取りたくなかったんだ」

 

「そんな嘘までついて、そこまでしてチョコが欲しいの?君なんてだいっきらいだ。」

 

「嘘じゃない。気持ちを口に出して、関係が壊れるのが怖くて、今まで言えなかったけれど、僕は千鶴が好きだ。」

 

僕達の間に、冷たい2月の風が吹く。空は鮮やかなオレンジから紺色に移り変わってきていて俯く彼女の顔は近くにいるのによく見えない。

「……倍で…して」

何かを千鶴が呟くけれど、声が小さくてよく聞こえない。

「3倍で返して、ホワイトデー。約束するなら、あげる」

「…わかった。量も想いも、三倍にして返すよ。」

「私が、どれだけ君を好きか、知らないでしょう。三倍返しなんて無理なんだから。だから、これは前払い分ね」

僕がその言葉を噛み締め終わる前に、唇に柔らかなものが押し付けられる。それが千鶴の小さく形のいい唇だと気がつくのに数秒かかって、これが前払いならホワイトデーには破産しそうだな、なんて考える。

あたりが暗くなっていて助かった。真っ赤になった顔を、誰にも見られずに、済むから。