バンパイアの恋人

 
 僕の恋人はバンパイアだ。と言っても人間とのクォーターだという彼女は、永遠の命も持っていないし、日光に当たっても灰になったりはしない。たまに吸血鬼の片鱗をのぞかせることはあるけれど、概ねにおいて彼女は「普通の」可愛い女の子だった。僕だって言われるまで彼女にバンパイアの血が流れていると気が付かなかった。

 「気持ちは嬉しいんだけど……でも、きっとわたし、君に迷惑かけちゃうわ。わたし君が思ってるよりずっと面倒くさい女の子だよ。」

 恋人になってほしいと彼女に伝えたとき、彼女は僕にそう言った。その時はその意味がよくわかっていなかった。それは言葉通り、重かったり、わがままだったり、気分屋だったり、そういう面倒くささのことを言っているのだと思った。

 「いいよ、君がどんな面倒くさい女の子だったとしても、僕はそれも含めて君のこと好きになれると思うし、好きになりたいと思う。だから、ダメかな。」

 そんな風に僕は彼女をうまく言いくるめた。色白の頬を赤く染めて「……それじゃあ、不束者ですが、 お願いします」 そう言って小さく頭を下げた彼女のことがたまらなく愛おしかったことを覚えている。

 

           ◇

 

 実際、付き合っていく上で彼女がバンパイアであることはあんまり問題ではなかった。

 長い時間日光を浴びていると皮膚が赤く焼けてしまうから、デートは大体天気の悪い日か、夕方からだった。僕は基本的にインドア派で、どこかに出かていくよりはむしろ部屋で二人で映画を見たり、 音楽を聴いたりしている方が好きだったから、 天気のいい日曜日に出かけられなくても全然かまわなかった。

 彼女は朝がめっぽう弱くて、大学の一限目に出るのにも毎回苦労していた。朝から授業のある前の日にはいつも僕の部屋に泊まりに来ていた。寝起きで機嫌の悪い彼女を布団から引っ張りだすのは、なかなか根性のいる作業だった。

 「まだ八時じゃん。あと十分は眠れたのに。」

 「あのさ、僕は今日は授業昼からなんだよ。『 起こしてくれてありがとう』じゃないのか?」

 「……ありがとう。」

 毎度のようにそんなやり取りをして渋々布団から出ると、彼女は着替えを始める。日光が差し込まないように分厚いカーテンを取り付けた薄暗い部屋の中で、彼女が下着姿になる。薄く光を放っているのではないかと思うほど白い肌に、お気に入りだと言っていた真っ赤なブラジャーとパンツが映える。まるでイチゴの乗ったショートケーキだな。そんなことを僕は眠い頭でぼんやりと考えた。

 「やっぱりさぼってもう一眠りしちゃおっかな。」

 ばっちり化粧まで終えて、そんな気はさらさらない癖に彼女はそう言う。

 「はいはい行ってらっしゃい。俺の授業が終わったら連絡するよ。 」

 つれないなぁと口を尖らせる仕草がかわいらしい。 けれど以前一度、この表情に負けてキスをしたら結局そのまま一日僕まで学校をサボるハメになったので、それ以来朝のキスには気を付けている。隙あらば絡みつこうとする彼女の長い舌を何とか唇で塞いで玄関か ら送り出した。

 

         ◇

 

 基本的に彼女は人間と変わらなかった。そう、たまに吸血をしたがることを除けば。

 「嫌だったら全然断ってくれていいんだけど」

 はじめて僕が血を吸われた夜、ひどく申し訳なさそうに彼女は切り出した。

 「……血を吸わせてくれない?」

 そのころには彼女がバンパイアの血を引いていることは聞いていたのでそんなに驚きはしなかった。

 「いいけど、やっぱり吸いたくなるもんなの?」

 「うん、いつでもだれでもってわけじゃないんだけどね。」

 あとから聞いた話だと、吸血欲求に一番近いのは性欲らしい。君の血が吸いたくなるのは君のことが好きだからなんだよ? と僕の血で染まった唇を拭いながら彼女はそう言っていた。その微笑みがあんまりに艶やかで、 僕は彼女にもっと血を吸ってほしいと思った。

 はじめての吸血は少しだけ痛かった。 僕の鎖骨の少し上あたりに彼女が恐る恐るといった様子で柔らかな 唇をあてがう。私も直で人間から血を吸うのは初めてだから、 痛かったら言ってね。留め置きして、 尖った歯が僕の皮膚に当てられた。

 僕はといえば、間近で嗅いだ彼女の髪の毛のにおいにくらくらしていた。さっきまでしていたセックスでかいた汗のにおいと、女の子の匂いとシャンプーの匂いと他にもいろんな匂いが混ざって いて、それは僕を安心させると同時に興奮させた。さっき二回もしたのに。

 ぶちゅっと鈍い音がして、一瞬遅れて重い鈍器で激しく叩かれたような痛みが首筋に走る。思わず情けない声をあげそうになって、僕は慌てて自分の唇を強く噛む。自分の体内から血液が流れ出ていくのを感じた。一番近い感覚としては献血だろうか。しばらくすると、首筋の痛みが消えていて、得も言われぬ幸福感が胸に満ちてくる。それがバンパイアの持つ人を魅了する魔術的な魅力のせいなのか、それとも「捕食」されているという事実から目を逸らして、幸福な最期を迎えようとする被食者の脳の働きなのか、僕にはわからなかった。

 しばらく血を吸われて、だいぶくらくらし始めたころ、やっと彼女の口が離れた。傷口の血は止まっていて赤黒い所有印のようなキスマークだけが僕 の身体に残された。薄く血の混ざった唾液の糸を引きながら彼女の頭が僕から離れる。

 顔をあげた彼女は恍惚とした顔をして、強く噛みしめたせいで血が出ていた僕の唇にキスをした。むさぼられるような口づけの中で、僕の血はおいしかったかどうかが気になった。

 それから僕は度々彼女に血を吸われることになった。どうやら僕の血はバンパイアのお眼鏡にかなったらしかった。

 

 

         ◇

 

 彼女にはもう二週間も会っていなかった。最初は些細な口論だったように思う。だんだんとエスカレートして言わなくてもいいことまで言ってしまったせいでなんだか顔を合わせづらかった。いつの間にか首筋のキスマークも消えてしまった。彼女は朝の授業に出られているだろうか?僕以外の誰かの血を吸っているだろうか?僕から謝れば済むことなのかもしれないけれど、それはなぜだか負けた気がして連絡できなかった。

 飲み会帰りに、ほろ酔いのまま友人とラーメン屋に立ち寄る。

 「俺、ニンニクラーメン、チャーシュー抜きで。」

 酔っ払ってほんのり赤い顔の友人はいつも注文を決めるのがはやい 。

 「同じのにしようかな。」

 「あれ、お前の彼女ってニンニクの匂い駄目じゃなかった?」

 彼には付き合っているときの愚痴やら惚気やらをよく聞いてもらっていた。彼女にもあったことがある。人の恋人の苦手な食べ物まで覚えているなんて僕には無理だ。こいつの周りに人が絶えないのはこういう風に気が使えるのが理由なんだろうな、と思う。

 「いや、ちょっと喧嘩しちゃってさ。なんかしばらく会えそうもないから、別にいいかと思って。」

 僕がそう言うと、彼は珍しく眉を寄せて渋い顔をした。

 「そういうのって、俺はあんまりよくないと思うな。……なんていうかうまく言えないけどさ。 お前がここでニンニクを食べちゃったとしたら、それって相手を裏切ったような、そんな気がしないか?……いや変なこと言って悪い。忘れてくれ。」

 そういうものなのかもしれない。僕らが誰かと生きていくためにはほんの少しの思いやりとそれを忘れない努力が必要なのだろう。

 それはたぶん、本当に小さな思いやりで構わないのだ。バンパイアの恋人である僕が持つべき思いやりは、生活を彼女に合わせて夜型に変えるようなそれではなくて、彼女のためにニンニクを食べないみたいなほんの小さな思いやりなのだと思う。

 「……いや、なんとなく言いたいことはわかった。味噌ラーメンにするよ。 もちろんニンニクは抜きで。」

 ありがとう、と友人に告げてオーダーを取りに来てもらう。

 帰ったら、彼女に電話をしてみよう。夜更かしな彼女なら、 きっとまだ起きているはずだ。

僕はいつも彼女が噛み付く部分をそっと撫でてみる。 跡は無いのに、ほんの少しそこが疼いた。