汚ならしい公園の公衆便所の床にばら撒かれた鞄の中身を搔き集める。

 

口の中を切ったらしく、ひどく鉄くさい味がした。うがいをして、顔を洗い、鏡を見ると、虚ろな目がこちらを力なく見つめていた。身体のあちこちは痛むけれど、骨は折れていないようだ。彼らはその辺りの加減は本当に上手い。殴るなら、顔以外を。傷をつけるなら心に。折るなら骨では無く、プライドを。

そうして自分たちが、少なくとも他の弱い誰かよりも強いことを確かめて、安心して明日も生きて行くのだ。

 

もしかしたら、もしかしたらそんなふうに彼らの安っぽい惨めな自尊心を満たすことが、僕が存在する、たった一つの意味なのかもしれないな。と思う。

どうせ、家に帰っても再婚を控えた母に疎まれるだけだし、友人と言われても誰も思い当たらない。

「生きていることは、それだけで素晴らしい」とヒットソングは歌うけれど、必要もされていないのに生きていることは本当に素晴らしいことなのだろうか?

 

夕暮れに染まる錆びたブランコを揺らしながらそんなことを考えた。

 

いっそこのまま帰らずに、どこかへ消えてしまおうか、そう思ってズキズキと痛む足を引きずって公園を出る。

 

公園の目の前の交差点のガードレールの隅にいくつかのお菓子と花が捧げられていることに気がつく。

そう言えばひと月ほど前、小学生がここで交通事故にあって死んだと何かで見た気がする。

もし、僕が死んだとしたら、たった一日でさえ、誰も花を捧げてくれはしないだろう。悼んではくれないだろう。泣いてはくれないだろう。

どうして、死んだのは彼で、僕ではなかったのだろう?

僕が、生きていることにもなにか必然性はあるのだろうか?

 

町は夕焼けで赤く染まっていって、涼しい秋の風が僕の頰を撫でる。木々のざわめきは耳に優しく、やわらかくどこか懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。

僕は見知らぬ君の死を悼む。

生垣から細く伸びる濃い紫のコスモスを手折り、ガードレールの隅に並べられた花の列に加える。

 

明日も生きていくの?と僕は僕に問いかける。生きてくよ、と僕は答える。

たとえそこに、何の意味がなくても。僕はそういうことに今、決めたのだ。