ポケットの中の恋愛


僕と彼女がつながったのは、二ヶ月前のことだ。十月のある晴れた朝、ポケットの中に君の手が潜り込んできた。

何も入れていなかったはずのポケットの中に、突然柔らかく冷たいものが入っていて酷く驚いた。驚いて手を引き抜いて、恐る恐るもう一度手を差し入れる。すると、そこに入っていたはずのそれがなくなっていて、何だやっぱり勘違いか、なんて思っていると指先に先程の柔らかさが触れて、戸惑いがちに僕の手の上を這い回り始めた。それが人の手だと気がついたのは少しした後で、一体何が僕のポケットに起きたのか、全くわからなかった。

駅前の人通りの多い朝の歩道で自分のポケットを覗いて見るわけにもいかず、どうしたものかと手を撫でられるこそばゆさに耐えていると、不意に相手の手が引き抜かれた。

やれやれ、後でこのポケットは縫いとめて使えないようにしてしまおうか?

引き抜かれた手が再度ポケットに入ってきた感覚があって、少し遅れてカサカサと音のしそうな、小さな紙片が僕の手の中に押し込まれた。取り出して広げてみる。小さな花の模様があしらわれた可愛らしいメモ用紙が2つに折り畳まれて入っていた。

この花は何という名前なのだろう?小さな白色の優しそうな花の模様だった。

メモには「あなたは誰ですか?なぜ私のポケットの中にいるのでしょう」と几帳面そうな少し小さい文字で書かれていた。

そんなこと、こっちが聞きたい。なぜ、僕のポケットは十月のある晴れた朝にどこかにつながってしまったのだろうか。

とりあえず学ランの胸ポケットからペンを取り出して花柄のメモの裏に「僕は高校生で、どうしてこうなってしまったのかはわかりません。このポケットをどうすればいいのでしょう?」と書いてつながったポケットに押し込んだ。幸いにも向こう側の彼女はポケットに手を入れていなかったらしく、手が触れて気まずい思いはしなくて済んだ。

 

          ◇

 

一時間目の体育を終えて教室に戻って汗臭い運動着から制服に着替えなおして、慎重にズボンのポケットを弄ると、小さな文字で書かれた返事が来ていた。

「学生さんなんですね、私は社会人一年目です。勉強頑張ってください、私のポケットはスーツのものなのですが、スーツを一着しか持っていないのでしばらくポケットはこのままにさせていただいてもよろしいでしょうか…?ご迷惑はおかけしません。」

当然僕も学ランは一着しか持っていないし、それで問題はなかった。右のポケットに携帯や財布を入れないように気をつければそれで事は済む。

「ありがとうございます。お仕事頑張ってください。僕も学生服はこれしかないのでそうしてもらえるとありがたいです。よろしくお願いします。」

こうして僕らの奇妙な繋がりが始まった。

 

         ◇

初めてつながってから2日後、少し肌寒い雨の日に右ポケットに違和感を感じて中身を取り出してみると金の包み紙のチョコレートとあのメモが入っていた。

「職場でもらったんですけど、実はチョコレート苦手なのでおすそ分けです。チョコレートは集中力アップ効果があるとか…!勉強頑張ってくださいね」

ありがたく金の包み紙を剥がしてチョコレートを口に含むと、ミルクチョコレートの甘い味が口に広がる。結構高級なやつなんじゃないだろうか。

「ありがとうございます、美味しかったです。雨も降っていて寒いですが風邪に気をつけてください」

それをきっかけとしてなんとなく会話が途切れることもなくて、ささやかな文通が始まった。

好きな映画のこと、仕事で怒られたこと、時には苦手な英語も教えてもらったりした。お互いに何となく、名前は聞かなかった。それでも、(はっきりと口には出さなかったが)天気の話題が合うことや、話題に登る街の風景が重なることから、おそらく同じ街にいるのだろうということはわかった。

 

ある帰り道、あまりに寒くてポケットに手を突っ込んで歩いていると、彼女の冷たい手が滑り込んできて、遠慮がちに僕の手を握った。手紙ではちょっとした厚みになるくらいやり取りしたけれど、こうして手に触れるのはポケットがつながったあの日以来だった。

改めて触ってみると彼女の手は冷たくて、強く握っていたら折れてしまいそうに細かった。女の人の手なんて握るのは初めてだったから、手汗に気が付かれないか、強く握りすぎていないか、そんなことばかり気になった。そして僕らは、誰にも気が付かれないまま手を繋いで帰った。

この日から、僕は帰り道にはポケットに手を入れて歩くようになった。おそらく彼女もそうしているのだろうということは、手をつないで変える頻度が教えてくれた。

 

         ◇

 

今夜はクリスマスイブだけれど、受験生にはあまり関係ない。けれど、彼女にはなけなしの貯金を叩いてプレゼントを買った。苦手だった英語の成績が伸びたお礼という大義名分に頼って。

課外を終えた帰り道にプレゼントを仕込んでおこうと思ったら、ポケットの中に先客がいた。左手だけの手袋と小さなメモ。

「メリークリスマス!私からのプレゼントです。右手もあげちゃうと君の温度が感じられなくなるので左手だけだけど許してください」

マフラーで口元を隠して、にやついていることを悟られないように歩く。僕からのプレゼントをポケットに入れて帰り道で君が訪れるのを待つことにしよう。

 

         ◇

 

「ポケットから手出して歩きなさい、転んだとき危ないわよ」

なんて、さっき廊下で彼に言ったけれど、私に彼を怒る資格は無い。彼がポケットの中で待っているのは私の左手なのだから。それがなんだかたまらなくうれしくて、少しおかしくて、にこにこしてしまう。私が彼の正体に気がついたのは、英語の課題について聞かれたときだった。それが自分が授業で出した課題だとわかって、そこから突き止めることができた。早く気がついてくれないかなー、と思う半面、卒業の前には私からばらして告白しちゃおうかな、なんても、思う。彼が私の指にはまっている指輪に気がつくのはいつだろう。彼がプレゼントしてくれた指輪に。