ピアス

 

「ねぇ私、ピアスを開けようと思うの」

 

ある晴れた3月の朝に彼女はそういった。

「へぇ、いいんじゃない、大学デビュー?」

高校三年生の春休み、お互い大して勉強をしなくても余裕で入れる地元の大学の合格も決まって、小学校から続く僕らの腐れ縁がこれからも同じように続く、そう信じていた頃のことだ。

「そんなところ、今からピアッサー買いに行くから付き合ってよ。10分後に私の家の前でいい?」

当然僕は暇だったけれど、少し気になって尋ねてみる。

「暇だけど…ピアスのことなんて全然わかんないよ。一緒に行くの僕でいいの?」

「高校はピアス禁止だったでしょ。誰と行っても同じよ」

一理ある。僕は急いで服を着替えて家を出た。

 

          ◇

彼女の家の前まで行くともうすでに彼女は外に出ていた。見たことのない白い長袖のシャツに春の空を落とし込んだような淡い水色のスカートを着ていて、きっとこれも大学デビューの準備なのだろうな。と思った。

「遅刻じゃない?」と彼女は言ったけれどまださっきの連絡から8分しか経っていない。「遅刻じゃないよ、ギリギリセーフ。それじゃ行こうか」

桜はまだ咲いていなかったけれど、オオイヌノフグリのちいさな青い花や菜の花の鮮やかな黄色が所々で眩しかった。どこまで買いに行くのかと聞くと駅の近くの大きなスーパーで取り扱っているのを見たという。僕もよく行くけれど、今までそんなものを売っていることには気が付かなかった。きっと僕の周りにはこんなふうにしてあるけれど気がつけていないものが溢れているのだろう。ふと、そんなことを考えた。

 

         ◇

 

片道15分の春を楽しみながらスーパーへたどり着く。ピアッサーというのは片耳ずつ使い切りのもので、そこにセットされているピアスをしばらくの間はつけていなければならないらしい。

「どの色が私に似合う?」と彼女が聞いてくる。「この紫色とかどうかな、大人っぽいと思うんだけど」「ふーん、紫か…どう?似合う?」そう言って耳元に紫の石を彼女が寄せる。「うん、似合うよ」「かわいい?」「可愛いっていうよりは綺麗かな」そう答えると彼女は満足したようで、紫の石のついたピアッサーを2つ手に取りレジへと向かっていった。

 

         ◇

大学はどんなところか、サークルは何に入るつもりか、今年はあの先生が離任するらしい、そんな話をしながら彼女の家の前まで戻ってくる。帰るのは少し名残惜しい気がしたけれど、用が終わったのに引き止めるのも不自然かな、と思い、じゃあ僕はここで、と彼女に告げる。

すると彼女は長い付き合いの僕も見たことのない恥ずかしそうな顔をして途切れ途切れにこう言った。

「そ…の、ピアス開けるの怖いから、よかったら開けてほしいんだけど。…うち今誰もいないし、ダメかな…?」

その表情がやけに可愛らしく見えて僕は不覚にもドキドキしてしまってよく考えないままに頷いてしまう。

 

          ◇

彼女の部屋に入るのは小学生のころ彼女の家に遊びに来たとき以来だろうか?

女の子の部屋でどう過ごしたらいいのかよくわからず座って待っていると、消毒用のウェットティッシュを取りに行った彼女が戻ってきた。

「それじゃあ、お願い」

彼女が僕の前に座り髪を掻き上げる。形のいい耳が顕になる。耳をウェットティッシュで拭き、ピアッサーをあてがう。耳に触れるたびに彼女の体が小さく跳ねる。おかげでこっちまでなんだか変な気分になってくる。

「いくよ」と小さな声でいうと、彼女は目だけでうなずいた。

 

ぱちん、と小さな音がして、僕は彼女の躰にささやかだけれど確かな跡を残した。

 

         ◇

 

 

「もう、耳はくすぐったいってば」頭を撫でながら耳に触れると彼女は猫のようにふるふると頭を振る。それでも懲りずに耳に手を伸ばして優しく撫でる。そこには僕が三年前に開けたほんの少し斜めに空いてしまったピアスの穴があって、彼女の躰に僕の印がついているような気がして嬉しくなる。

それをしたら、くすぐったがって怒ることはわかっていたけれど、僕はほかにどうすればこの気持ちをうまく伝えられるのかわからなくて、その小さな耳にそっと口づけをした。