サボテン

育て始めるまで、「サボテン」というのは英名だと思っていた。なんでも、サボテンの一種を「シャボン(石鹸)」の様に昔の人は使っていて、彼らを「シャボテン」と呼んでいたらしい。それが訛ってサボテンになったのだとか。

英名は…何だったかな、花屋の店員はそれを教えてくれたのだけれど、ちょうどすっぽりその名前が抜け落ちてしまっていて思い出せない。

 

僕がサボテンを育て始めたのは、君が出ていった次の日のことだった。荷物を小さなスーツケースといくつかのカバンに全部詰め込んで、君はきれいさっぱり僕の生活から出ていった。

一人で過ごすには広すぎる部屋の無駄に大きなダブルベッドで一晩を越した僕はその空隙の多さに耐えられなくなって、なんでもいいから詰め込んでおきたくて、だから仕事帰りにいつもは通り過ぎるだけで気にも止めていなかった小さな花屋に寄ったのだと思う。

 

花屋というのは、基本的に優しく、幸せな場所なんじゃないかと僕は思っている。ここに来る人は皆、誰かのことを(あるいは自分のことを)想っている。それが愛を伝えるための花であろうと、誰かを見舞うための花であろうと、居なくなった人に捧ぐ花であろうと。

そんな場所だからこそ、棚の隅にぽつんと佇む小さなサボテンに目が行った。彼は薔薇のように美しくもないのに、身を守るための棘を持っていることを恥じているように、僕には思えた。その行き場のない感じになにか、惹かれるものがあって、僕はその小さなサボテンを買って帰った。

 

「何かを好きで居続けるためにはね」と彼女は別れ話をしている時に言った。「適切な距離ってものがあるのよ、きっと。私達は少し―ほんの少しよ、近づきすぎたんじゃないかしら」僕も同じことを考えていたよ。それが僕らの最後の会話になった。僕らは最後まで結構気が合っていたのだ、それはきっとすごく喜ばしいことなんだと思う。

 

6月の湿った風が開け放った窓から吹き込んでくる。明日はもしかしたら雨が降るかもしれない。二人で入るために買った傘はどうにも一人で使うには大きすぎる。そのうち、もう少し小さめの傘を買おうと思う。でも、壊れてからで構わない。

 

ーおそらく、僕らの恋はサボテンのように育てるべきだったのだ。日を浴びて棘を伸ばす(サボテンの葉はあの棘なのだ。これも僕はサボテンを育て始めてから知った。)自然な量の水と程々の肥料で永く育てるべきだったのだ。愛情を注ぎすぎた僕らの恋は根腐れを起こして、気がつけば取り返しのつかないところまで転がり落ちていってしまった。

 

今僕のサボテンは元気に育っている。きっといつか、薔薇にも負けない美しい花を咲かせることだろう。そうしたら僕は、街で偶然君に出会っても、上手に笑える気がする。本当に、こころの底から。

 

それまでは、どうか寂しい夜に君を思い出す格好悪い僕を許してほしい。