世界の終わりに。

 目が覚めて携帯電話を開く。土曜日、午前8時24分。失敗した。と僕は思う。また燃えるごみを出し損ねた。これで三週間連続だ。

 燃えるごみは水曜日と土曜日。休日の8時までにごみを捨てるため早起きをする人間なんて存在するんだろうか? 

 存在するのだとしたら、ぜひ僕の分のゴミ出しも頼みたい。

 別に金曜日の深夜のうちに捨てておいたっていいんだけれど、それをしないのは僕が正義感や道徳心に満ち溢れた人間だからじゃなくて、そんなことを思い出すころにはとっくに酔っ払っていて外に出るのが面倒くさいからだ。

 携帯を枕元に適当に投げる。誰からも連絡は来ていなかった。いつものことだ。最後に僕に連絡をよこしたのは誰だろう。クレジットカード会社だったような気もする。

 何のやる気も起こらないし、昼くらいまで寝てやろうと僕は思って目を閉じる。どうせ誰も文句は言わない。ごみだって水曜日に出せばいい。

 目を閉じていると、音や匂いが良く感じ取れるようになる気がする。たぶん、探せばそういう研究結果もあるだろう。面倒くさいので探す気はないけれど、きっとあるはずだ。

 結局それは意識のリソースをどれだけ割くことができるのか、という問題に過ぎないのかもしれない。僕に提示されている情報はあまりに膨大で、そのほとんどをただ通過させることしかできないのだ。

 どこか遠くで子どものはしゃぐ声が聞こえる。

 僕にもあんな風にはしゃいでた頃はあったろうか?そんなことを考えながら、一度目覚めた意識を睡魔にもういちど引き渡そうとした。

 8時半を告げる目覚まし時計のアラームがけたたましく鳴く。

 習慣とは恐ろしい。酔っ払った僕がいつも通りセットした目覚ましは、今日が何曜日かなんて知ったことは無いと言いたげに鳴り続けている。

 僕は舌打ちをしながらそれを止め布団から出る。弁解をしておくけれどこれは昨日の自分に対する舌打ちだ。深緑色のこの目覚まし時計は悪くない。こいつに機嫌を損ねられたら、たぶん僕は仕事に遅刻する。

 早起きしたって、何にもやることはないんだけどなあ、と思う。まぁいい。僕は休日を無意味に過ごすことにかけては結構才能があると思う。


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 午前中のうちに洗濯機を回して、掃除機もかけた。悲しいことに誰も褒めてはくれなかった。僕は決してきれい好きなタイプではない。きれい好きは寝過ごしてごみを出し損ねたりしない。たぶん。

 1万円で買った2009年製の洗濯機(脱水を掛けると変な音がするポンコツだ)をセットしてから安い掃除機でほどほどに床を掃除する。僕は次はコードレスかコード巻取り式の掃除機を買おうと決意する。

長いコードが絡まって取り出すのも片づけるのも面倒くさい。

 お気に入りの音楽をイヤホンで聞きながら掃除機をかけると少し楽しい。実家の母親が家事をしながら鼻歌をよく歌っていたことをふと思い出した。

 「世界の終わりに君ならどんな音楽を聴く?」

 とっくの昔に解散したバンドが僕の耳元でそんな風に歌う。

 僕は解散したバンドが好きだ。完結した漫画が好きだ。死んだ小説家が好きだ。リメイクされない映画が好きだ。それはきっとこれから先もずっとそのままでいてくれるだろうという安心感がある。僕が変わり果てても、世界が終わってもそれは今の形のまま、決して変わらない。そんな気がしてきて安心する。 

 「世界の終わり」それについて僕は真剣に考えるべきなのだろうか?高校生くらいの僕は、嬉々としてそれについて考えていたような気もする。


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 本というのは不思議なもので、買ったのに読まないで置いておくと増える。買ってすぐに読んでもなぜか増える。そんなわけで僕は今日も三冊本を買った。たぶん彼ら/彼女達も放っておくと繁殖するはずだ。コーヒーを淹れている間にも一冊増えた。お盛んなことだ。

 止まっていた洗濯機から湿った洋服を取り出して物干しざおにかけた。早く干して畳むところまで全自動でやってくれる洗濯機が出来るといいのになぁ、と僕は思う。もし仮にそんなものができたとして、洗濯機を一万円で買おうとする僕のような人間がそれを手に入れるのは一体いつになるのかわかったものではないが。

 ラジオも適当にかけてコーヒーを飲みながら買ってきた小説を読む。

 僕はテレビはあんまり好きじゃないけれどラジオはけっこう好きだ。ラジオはテレビほど押し付けがましくないし、それに何となく誰かと会話をしているような気分になれる。それはたぶんリスナーのお便りが読まれたりすることに関係しているのだろう。いつか僕もハガキかメールでも出してみようかしらと思う。

 ちょうどよく日が指してきて僕の背中をあたためて、僕はその心地よさに耐えきれず目を閉じる

 

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 夢を見た。

 僕は見たことも無いけれど、訪れたことのある平原に立っていた。膝丈くらいまで細い茶色の葉が茂っていて、僕の脚を優しく撫でていて少しくすぐったかった。深い青色の空。ボロボロになった水色のミニバス。ところどころに咲いている濃い紫色の花。僕は、あるいは僕だった誰かにとってここがある一つの旅の終着点だったのだろうと、僕には本能的にわかった。そこで僕は旅をやめにして、一緒に旅をしてきた誰かを弔ったか、先に進むことを見送ったのだ。それは少年だった、どうしてか顔は思い出せないけど、僕は彼をよく知っていた。なんせ、僕らは長いことずっと一緒にいたのだ。

 草原には別れの気配に満ちていた。僕はそこにいるだけで立っていられないくらいの喪失感に襲われた。

 悲しい夢だ。

 そう思ったけれど、同時にもう少しここに居たいな、とも思った。

 あちこち穴のあいたバスに近づいて中を覗き込む。バスの中は雑然としていて、そこに脈絡のないものが置き去りにされていた。止まった腕時計。書きかけのノート。大きなぬいぐるみ。煙草とオイルライター。レンズの割れたカメラ。

 中に入ろうかとも思ったけれど、やめておいた。なんとなく、そのままにしておこうと思った。もしいつか、彼が帰ってくるときのために。


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 本を読みながら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。ソファで目を覚ますといつの間にかすっかり夕方になっていた。早起きをしたせいだな、と変な寝方をしたせいで凝った背中を伸ばしながら思った。

 窓から見える街はオレンジに染まって燃えてるようにも見えた。

 ひとり用の冷蔵庫からビールを取り出してプルタブを引っ張る。小気味よい音がして蓋が開く。世間ではこれは発泡酒であってビールではないらしい。知ったことか、僕はこれをビールと呼んでいるし、ビールだと思って飲むことにしている。その方が幸せだと思う。

 ビールも三本目が開くころになると、外はすっかり暗くなっていて、それ相応に僕も酔っ払っている。

 僕は昼間からなんとなく世界の終わりについて考えていて、そしてなんとなく悲しい気持ちになる。高校生のころと違って、僕は結構この世界が好きなんだな。と思う。いままで訪れた場所が、出会った人が、過ごした時間が僕は好きだ。世界の終わりに少しもワクワクしないといったらそれは嘘になるれど、それよりも俺は好きだった場所に行けなくなることとか好きな音楽が聴けなくなることとか、好きな本が読めなくなることとか、好きな人たちに会えなくなることが悲しい。

 世界の終わりに僕が好きな人たちが悲しむのを見たくない。傷つかないでいてほしい。そんな風に思う。

 僕の膝の上にいつの間にか幼い日の僕にそっくりな少年が座っていることに僕は気が付く。

 「もし世界の終わりが来たってお前には何にもできないよ。」

 彼はそんな風に言う。その通りだ。僕には彼が泣いているのがわかる。

 「そうだね、だけど生きていくよ。そういうことに決めたんだ。」

 僕はそう彼に告げる。いつの間にか部屋の中には僕一人になっていて、それでも膝の上がまだ温かかった。