幸福のしっぽ/ハヌマーン

俺が初めてハヌマーンを聞いたのは友達のブログがきっかけだった。
そいつは高校の友達で、同じ大学に通ってはいたけれど、俺よりずっと頭が良くて「面白い」奴だった。
俺はたぶんそいつに嫉妬にも近い憧れを抱いていたのだと思う。
そいつが(確か)「ハヌマーンを聞け」とブログで書いていた。
憧れの相手好きなものは吸収したいし、知りたい。
それが憧れじゃなくて好意と置き換えてもいい。
恋人の好きなものとか、友達のお勧めしてるものはそれだけでいつか触れてみたいと思う。
みんながみんなそうだとは言わないけれど、少なくとも俺はそうだ。
愛は名前を知るところから始まるのだ。相手を知ることは愛なんじゃないか?友愛か博愛か恋愛かそれはケースバイケースだけれど。

 

そんなわけで、俺はハヌマーンを聞いて、そこからずっと好きなわけだけれど、いつの間にかあのブログも消えてしまった。本人とも疎遠になって、今はどこで何をしているのかわからない。
ただ、俺なんかよりいろんなことの本質をよく見ている男だったから、たぶん上手くやってるんじゃないかと思う。そうだといいな。
結局、ほとんどの人間関係は≪近づいていたつもりが、高速ですれ違っていただけ≫というだけの話なのだ。
それでもすれ違った彼らは俺の中に何かを残して行っていて、俺はそれをたまに引っ張り出して少し寂しい気持ちになる。

 

すっかり前書きが長くなってしまった。ハヌマーンの話をしよう。
ハヌマーンについて書きたいことはたくさんある。パチンコで負けた日に「Fever Believer Feedback」を聞いた話とか、「トラベルプランナー」を一時期目覚ましのアラームにしてた話とか。暗いニュースを見ると「リボルバー」を聞きたくなる話とか。


まぁ、でもどれか一曲について書くなら《幸福のしっぽ》かな、と思う。
これは、今まで一度で幸せに偶然手を触れてしまったことがある人、ハッピーエンドの向こう側に迷い込んでしまった人のための歌だと俺は思う。

「どんなバンドか」とか正確な歌詞とか書くのが面倒くさいのでその辺は検索してほしい。そういうのって実際のところ何も伝えないんじゃないか?と俺は思う。Wikipediaとあらすじを読んで内容を完璧理解できるような小説なら、読む必要が無いのと一緒だ。

 

「俺は世の中とやれてないな」と感じたことがある人は多いと思う。というか大体の人はそうなんじゃなかろうか。
《また転んだ。日々が行く。なんで僕だけと呟く。運命って言葉が浮かぶ。手も足も出せずに笑う》そんな歌いだしが響くのはきっと俺だけじゃないはずだ。
みんな「なんで僕だけ」と不幸を嘆き、生きる。それは社会的に成功しているかどうかとか、他人から見て上手くやれてるかとか、そういうんじゃなくて結局は「俺はどう感じるか」の話だ。人は他人の悲しみや不幸について完全に理解することはできない。俺には山田亮一が詩を書いた時に感じた想いを完璧に知ることはできない。その他のすべての哀しみについてそうであるように。

 

人間でいるためには《明日もまた同じ場所へ同じ手段で行く》必要があると言う。これは社会人になってしばらく経って身に染みた。もう、寝ぼけていても家から職場にたどり着けるようになってしまった。《彼らの理不尽さも品性の無さも受け入れてかなきゃ》とまぁひどい話だとは思うけれど、生活するためには仕方がない。かなり自覚的に上から目線の詩だと思う。そもそも、俺とて、理不尽なことを人に強いるし、品性だってお世辞にもあるとは言えない。この間、土曜の朝に収集の燃えるゴミを金曜の夜に出しました。この場を借りて謝っておきます。

 

《地下鉄の窓越しに、いつかのあの娘に似た人。愛していたような、不安のはけ口にしていたような》「あなたが他人のことを、自分の寂しさを埋める道具くらいにしか見ていないということは、案外見抜かれてしまうものなんですよ」とは「三日間の幸福/三秋縋」の引用だが、まぁ、きっとそういうもんなんだろうなと思う。何が愛かなんて永遠に俺たちにはわからないんじゃなかろうか。愛だと思っているものが寂しさや独占欲や性欲でないと誰が証明できるのだろう?結局すべての恋人も友人も家族も≪近づいていたつもりが、高速ですれ違っていただけ≫なのかもしれない。それでも心の中にまだ残る物に、意味や価値や物語を見出して俺たちはエンドロールの向こう側を生きていくしかないのかもしれない。

 

≪明日どれだけ面倒でも、部屋の掃除をきちんとするよ。たまった洗濯物も干して、あなたを思って言葉を書くよ≫≪暮らしがどれだけみすぼらしくて、維持するだけで目が回っても、ただ受け入れる洗濯機と回り続ける洗濯機のように。≫≪好きな歌など聞けなくても、会いたい人には会えなくても行きたい場所には行けなくても、黙って全てを受け入れるから≫≪そしたらまだ、人間でいられるんかなぁ。母さん≫と逆説的な歌詞で曲は終わる。好きな歌を聞いて会いたい人に会って、行きたい場所に行かなきゃ人間でいられないんじゃないかなぁ。と考えてしまう。俺はまだ、人間でいられるだろうか?

 

山田亮一はとてもやさしいので≪駄作は全部置いてくから、死にたくなったら歌えよ≫と言ってくれる。少なくとも俺は好きな歌を聞くことができる。
ハヌマーンがサブスクを解禁してくれたので。まだ人間でいられるかなぁ。

 

社会人が二か月くらい過ぎて、仕事が嫌になってきたので書いたら、長くなった。やっぱり書くのはなんとなくストレス発散になる気がする。読んでくれた人がいたとしたらありがとう。ハヌマーン、一緒に聞こうな。