ひどい話

「ねえ、煙草吸うのやめなよ」

 待ち受け画面に表示されていた着信メッセージの意味が一瞬分からなくて、元々ほとんど機能していなかった寝起きの頭が完全に止まる。

 青白い携帯電話が示す時刻は23時45分。僕がシンデレラだったとしたら、卒倒するところだ。

 昨日、仕事を片付けるために徹夜をしたせいだろう。帰ってきてスーツも脱がないままで眠ってしまっていたらしい。ネクタイがまるで死んだ蛇みたいに首に纏わりついていた。

「タバコ・スウノ・ヤメナヨ」

僕は頭の中でその言葉を反芻してみる。親以外の人間にそんな風に言われるのは久し振りだった。

 「煙草を吸うのがカッコいい」そんな時代は、僕が生まれてくるよりも遥か昔(鎌倉時代くらい遠い昔だ)に終わっている。未だにそれを吸ってるやつは、都会の蛍を気取っている馬鹿かニコチン中毒のどちらかだ。

 けれど、僕らが馬鹿で中毒者なことをさておいて、これまで僕の取ってきたスタンスは「あなたに迷惑はかけないので、放っておいてください」というものだった。だってそうだろう?僕らは基本的に友人の人生に(あるいは恋人の人生にだって)責任を取る必要なんて少しもないのだ。お互いに言いたいことを無責任に言いあって、無責任に受け止めあう。それが友情の良いところだ。あなたが僕に「煙草を吸うのをやめろ」という自由があるように、僕には「はいはいそうですね」と聞き流す自由がある。そして僕は今までそういう自由を僕なりに正しく行使してきたと思う。

 メッセージの送り主はそれなりに長い付き合いのある友人だった。「余計なお世話かもしれないけど、さっきニュースを見てて、なんとなく思って」とそんな話が書かれていた。「この前会った時に煙草臭くて、嫌な思いをさせたかな」。そんなことがふと脳裏を過ぎる。それを遠回しに伝えているということも、大いにあり得ることだった。何しろ、彼女はよく気を遣うタイプなのだ。

 正直に言うなら、煙草をやめるように言われて、僕は大いに戸惑っていた。成人男性が全くの他人から心配を受けることはほとんどない(と思う)。飲みすぎて目の前で暴れているときか毎日カップラーメンを食べている画像をSNSに投稿しているときくらいじゃないだろうか。

 僕は、いつも通り「はいはいそうですね。でもあなたには関係ないんだから放っておいてください」と返すか、「心配してくれてありがとう」と返すべきかたっぷり三十秒迷った後で、「善処します」という短い返信を返した。自分自身に誠実で、嘘を吐くのが下手なところが、僕の持っている数少ない美徳だと思う。

 返信して、しばらくしたら目が覚めてきた。煙草を吸おうと思って、ベランダに出るためにサンダルを履いた。ライターで火を点けたところで、やっぱり止めにしてそれを灰皿代わりの空き缶に落とした。「彼女の、喫煙を吸う身内に何か不幸があったのでなければいいな」と真っ白な丸い月を見上げてそんなことを考えた。

 やれやれ、こんなのって本当にひどい話だ。彼女にもなにか僕から呪いを掛けられたらいいのに、と思った。