ロックンローラーの君へ

 以前、高校の一部の教員から睨まれている軽音楽愛好会の友人に「部活じゃないと、活動に制限があって、教師からも目をつけられて大変じゃないか?」と聞いたことがある。彼の返事は「権力に認められたらそんなものはロックンロールじゃない」というものだった。

 それを聞いて「あぁ、こいつは本物なんだろうな」なんて納得して、同年代ながらそんな境地に至っている友人に尊敬の念を抱いたことを覚えている。そう、様々な批評家も述べているけれど、ロックンロールは音楽のジャンルというよりも、むしろ反社会的な姿勢、「この世界はこんなにクソだ」!そうバカみたいに叫び続ける魂そのものの名前なのだろうと思う。権力に守られて、群れて、大衆受けを狙ってしまうようなロックンロールはたぶんロックンロールではない。壊れそうな危うさと泥臭さ、そして孤独さがないなら、そんなものはPOPだ。

 誤解されがちだけれど、「不満をぶちまけること」は決して諦めに起因する行為ではない。もし本当に諦めていたら、変わらないと思っていたら、誰も何も文句を言ったりはしない。だから、それはむしろ「世界はもっと素晴らしい」と信じて期待していることの何よりの証拠だ。

さて、ギターどころか楽器といえばトライアングルしか弾けない僕は、ミュージシャンという意味でのロックンローラーにはなれないだろう。それでも少なくとも僕は、「この世界はクソだ!俺たちはもっと素晴らしく生きていける!」そう叫び続ける彼らの声や歌が世界を変えることを愚直に信じ続けているし、精神的な意味での「ロックンローラー」になりたいと願い続けている。